1999年9月27日 (月)

レコードが記憶する光景

 1980年代初頭の下北沢。それが、どこの店であったのかははっきりと憶えていない。「餃子の王将」だったのか、小さなフライパンで洋食を食べさせる「フライパン」だったのか。だが、その時に何を食べたのかということは、それほど大きな問題ではない。
 となりの席の客の言動が気になったのだ。当時、音楽を聞くというと、洋物のロックやポップス、あるいは歌謡曲やジャズというものだった。日本人によるロックやポップスは、まだまだ一般的なものではなかったし、多くの人が多種多様な音楽を聞いているという時代でもなかった。人が集まれば、そのうちの複数の人間は同じ音楽を聞いていたのだ。
 当時、ジャズの世界にも、電気楽器は浸透しはじめ、エレキギターやシンセサイザー、フェンダーローズ、エレキベースを使ったジャズはジャズ・ロックとなどと呼ばれるようになった。これが、クロスオーバーと名前を変え、フュージョンという呼び名に落ち着くまでは、それほど時間がかからなかった。
 もともとはジャズが好きだった--というより、ジャズがやっぱり好みにあうと落ち着くまでには、反発をふくめ、いろいろと紆余曲折があった。うちでは7歳年上の兄が、ジャズを聞いていたので、家にかかる音楽はいつもジャズだ。それも、スイングという形式に固定されていて、その後のビバップやモダンといったジャズがかかる事はなかった。
 中学1年の時、クラスメートから、ポップスを聞いたことはないかと聞かれ、ないと答えると不思議な顔をされた。そこで、ポップスやロックなるものを少しずつ聞いてみることにしたが、どうも物足りなかった。たいていがツーハーフで終わり、単純な音の響きに聞こえた。
 それでも、兄に反発するため、ロックのベストテン番組をエアチェックしては聞いていた。そのうち、ロックのなかでも、あるジャンルのものに惹かれるようになる。それが、プログレッシブ・ロックだ。日本ではEL&Pやイエスが有名だった。とくにEL&Pはジャズっぽいテイストがあったので、馴染みやすかった。
 当時のジャズは、フリージャズ全盛期であり、そうでないものは古典芸能のように古色蒼然としていた。フリージャズはBGMとして聞くには重すぎ--というか、まともに対面して聞かないといけない勝負の世界だ(笑)--古典に目覚めるには若すぎた。
 そんな時に、ジャズでありながら、電気楽器を使うサウンドを聞いて、これだとばかりに、その手の音楽を聞きあさった。(余談だが、最近のジャズ評論で、我々はウィントン・マルサリスよりもウェザーリポートを選ぶべきではなかったかという反省があった。ウィントン・マルサリスは古典の復活に貢献した人物であるし、ウェザー リポートはジャズに電気楽器を導入した先達グループだ)
 さて、80年代初頭の下北沢へ戻る。店で注文した品が出てくるまで、手持ちぶさたでいると、隣席の会話が聞こえてきた。こういう時はいやおうなしに聞いてしまう。どうやら、そこにいる4人は大学生で、同じサークルに属しているらしいことがわかった。
 3人までは、普通に話しているが、そのうちの1人には、東北訛りのイントネーションがあった。そして、その4人はジャズに関するサークルにいることがわかった。
 東北訛りが力説をしている。「いまはフュージョンなどというものが流行っているが、それは一過性のものだ。歳をとったら恥ずかしくて聞けたものではない。その点、現在でも長い歴史があり、スタイルが固定しているモダンジャズは一生聞いていける音楽だ。フュージョンが好きだなどという者はバカ者だ」というような内容を寺山修司ばりのイントネーションで語っていた。他の3人の反応がどうだったのかは憶えていない。その言葉だけが記憶に残った。
 あれから20年が過ぎようとしている。歳をとってきたのでモダンジャズをばりばりと聞いているかというと、そんなこともない。何百万枚売れたというメガヒットが生まれているが、それらを聞くこともない。一時なかった70年代フュージョンがCDで再発されるようになってきたので、それらを買いあさっては聞いている。
 メガヒットの1枚を買って、他人と同じものを聞いているという安心感にひたるよりは、30年前に手に入れられなかったレコードがやっとCDになって手に入ったほうが、何倍も喜びは大きい。
 このように音楽は、社会の側にあるものではない。社会的ブームにより好まれる音楽がどう変わっていこうとも、個人のなかにある嗜好は、15歳から20歳ぐらいの間に形づくられているに違いない。いくつになっても、この時に聞いた音楽を聞き続けてしまうのだ。そして、第1音が鳴った瞬間には、聞いた当時にタイムスリップしている。夏だったり冬だったり、昼だったり夜だったり、恋していたりふられていたり、レコードは記憶なのだと実感する。
 ところで、あの時の東北訛りの若者は、いまでもモダンジャズを聞いているだろうか? 

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