1998年11月16日 (月)

伝統の底

 伝統的だと思っているもののなかに、別の体系が潜んでいることがある。ふだんは気づかないそれらが、なにかの拍子で顔をみせるのはおもしろいものだ。
「最後の審判」や「アルマゲドン」(終末戦争)といったものは、なにもキリスト教の伝統的専売特許ではない。さぐっていくと、その底がすっぽりと抜けて、ゾロアスター教にたどりつく。
 ゾロアスターは、人間を、善なるものと悪なるものの戦いにそなえて用意されているものとした。だから、未来に起こる「聖戦」(ジハード)にそなえて、戦士として採用されるため、よいおこないを積んでおく必要があると説いたのだ。
 その、よい者と悪い者を審判するという考え方は、古代エジプトのオシリス神信仰に、その原型をもとめることができる。
 こうして、積み重なっていくわけだが、「最後の審判」「アルマゲドン」「聖戦」「解脱」をいっしょくたにしてしまう、最近の新興宗教では、なにをかいわんやである。
 日本でも、古来より神道の行事とされているもののなかに、他からもってきたものが数多くある。
 この15日に、各神社で、千歳飴をぶらさげた子どもたちが、うろうろしている姿を見かけたことと思うが、この七五三というのも、その考え方の源流は、中国にもとめることができるのだ。
 七五三は、平安時代中ごろ、公家の間で三歳から七・八歳までの男女のお祝いの儀式がおこなわれていたのが起源らしい。
 平安時代といえば、当時の最新科学である陰陽道が日本にはいってきた時代だ。当時は、平均寿命も短く、乳幼児のうちに死んでしまうことが多かったに違いない。
 子どもが死んでいくのは悪い神様の仕業と思われていた。そこで、陰陽道という先端科学としては、悪い神に子どもを持っていかれないために、いろいろなテクニックを使うことになった。
 男の子を女の子として育てることや、いったん捨てて拾いにいくとか、他人の家へあげてしまうということがおこなわれた。
 女の子にくらべ、男の子は身体が弱い(事実、オレは2歳のときに死にはぐっている)。そこで、女の子の格好で育てるということもあったようだ。
 昔は、男の子は、病気の神様に狙われやすいと思われていたのだ。そこで、女として育てれば、病気の神様が、女の子なので見逃してくれるという理屈があったのだ。
 いとこの男の子の七五三の写真に、おかっぱ頭に振り袖姿で、まったく女の子としか思えないものがあった。昔は不思議だったが、いまは理解できる。
 こうして、ある一定の歳にまで大きくなれば、その後、何年か生きる確率が大きくなるため、「通過儀礼」を無事に通り越したお祝いとして、七五三ははじまったのではないだろうか。
 七五三が一般庶民にも広まったのは、江戸時代になってからだ。六代将軍徳川綱吉の子の徳松は、身体が弱かった。その子がある程度まで大きく育ったことを、綱吉がお祝いをしたことにあやかってはじまったとされている。
 7、5、3や、11月15日はともに、陰陽道からとられた数字だ。陰陽道は陰陽五行説となり、のちに易を生み、易の八卦は、相撲の行司の「はっけよい、のこった」に残るのである。「はっけよい」は「八卦よい」なのだ。
 日本の伝統の源は、中国のものを真似していたのだ。大昔から日本人は、新しいものの真似が得意だ。これを日本の伝統芸として保存したらどうだろうか。 

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