1998年2月16日 (月)

Webデザイン考

 ホームページをはじめてから、そのデザインについて頭を悩ませている。
 かっこいいデザインを求めたいのはやまやまだが、日本における通信回線の状況を考えると、どうも単純にはいかない。
 プロ? がつくったホームページは、画像にたよったデザインが多く、GIFアニメやJava、ShockWaveなど、これでもかというぐらいにいろいろな機能の見本市状態である。ところが、これが開かないのだ。
 エッチな画像をみるためならともかく、単純なインデックスページが開くのに、なぜ数分間も待たなければいけないのだと考え、すぐに読み込みを「中止」してしまう。おまけに各種プラグインはインストールしてないので、そうしたものが必要なページもみないことにしている。
 これでは、ホームページをより多くの人にみてもらうという第一段階でつまづいているとしかいいようがない。それに、企業広告がチカチカとアニメするのもどうかと思う。みづらいし、イメージ的にも場末の風俗店かネオン街といった雰囲気でいただけない。
 それがホントの場末の店なら、苦笑いをしてゆるしてしまうが、日本を代表する大企業にかぎってそうなのだから困ったものだ。
 ついでに書くと、そうした大企業のホームページのインデックスのひどさもなんとかしてほしい。「憩いの森」だの「きらめき広場」だの、これはいま思いついて書いているだけだが、こうした感じの名称でくくってあるところが多い。これのどこに商品の情報があるかを考えるのは、判じ物をあてるみたいだ。商品情報が知りたくてアクセスしてるのに、すぐにみつかったためしがない。これでは印刷カタログにすら負けている。
 こうしたことは、企業として自分の手でホームページをつくるという発想がないからと思える。広告と同じ発想で、外部へ発注し、最新の機能ですとか、よそより注目度のあるページですという言葉に「んー、わからんけどいいんだろ」といってるだけとしか思えない。
 デザインとは、ある種の我慢が必要な分野だ。それは美意識に対するものかもしれないし、空間に対する不安との戦い、大多数に流れないということかもしれない。そして、我慢ができるということは大人の感覚を持つということである。
 画像だらけで重くなく、すっきりとした大人の風格を持ったデザインの企業のホームページに巡りあいたいものである。
 自分のページはどうかって? 画像をいっさい使わないでみせたいという考えと、イラストをみせたいというアンビバレンツな狭間であがいているとこです。はい。

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1998年2月23日 (月)

Webデザイン考2

  ホームページのデザインで悩んでいるというのは、先週書いたとおりだ。
 なにしろ、画像を含んだページはなかなか開かない。タイトルの文字や、ちょっとした飾りまで画像にするぐらいなら、テキスト情報だけのほうが、すばやく開いてストレスがない。
 そんなわけで、文字だけにしてみると、こんどはなんだか寂しい。テキストだけでは画面が寂しい感じがするのだ。
 そこで、活用したのがテーブルである。テーブルならHTMLで定義できるので、色の面を作っても情報としては軽い。この色面と文字を組み合わせることで、テキストだけよりも画面にバリエーションをもたせることができる。これはいいと始めてみたわけだ。
 ところが、HTMLの限界か、WEBの設計思想か、文字の大きさ、書体の情報や、テーブルのサイズというのは、それを見る側の条件で左右されることがわかった。
 自分のページを3種類のブラウザで見てチェツクをしてみたのだが、ブラウザごとにバラバラな表示をするのである。これではきっちりデザインをしたと思っていても、文字の位置は動いているし、テーブルの大きさも変わっていてボロボロな状態だ。
 やはり、文字や色面の位置関係をきっちりと伝えるためには画像にしなければだめなようだ。これは困った仕様としかいいようがない。
 各家庭に1.5メガていどの線がきているなら、どんなことでもやってくださいだが、モデムで28.8K、ISDNでも64K~128Kでは、画像を開くことはストレスを感じるのだ。
 画像を見るというのなら、それなりの覚悟をしているのだが、たかだか、インデックスでそれをしろというのは理不尽な思いがする。
 またまた、企業のホームページをひきあいにだしてしまうが、トップページに扱っている全商品の画像をいれて、ほとんど開かないページを作っているところがある。これなどは、ほんとに見てほしいのか疑問に思う。
 日本の大多数のネットワークの現状では、画像は開かないと考えてデザインするしかないわけだが、デザイン的に位置をきっちりきめるには画像の使用が不可欠だ。
 いったい、どーすりゃいいのかね?

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1998年3月 2日 (月)

モバイルはじめたけど

 PowerBookの重さと大きさはなんとかならないのか。
 昨年末、わけあって毎日190csを持ち歩くはめになっていたのだが、腰をやられてしまった。もうちょいでギックリ腰だ。
 地方へ取材ででかけるときにも持っていってたのだが、やはり、コンピュータを持ち歩くのはやめようと、持っていかないときにかぎって家の留守電に「原稿のことで緊急に用があるのですが、メールしておきます」などというメッセージがはいっている。
 だいたい、ホテルに帰って、家に電話してみるのは夜中だったりするので、もう編集部へ電話しても誰もでない。いったいなんなんだよーと眠れなくなってしまう。
 そこで、メールチェック用にモバイルコンピュータだとばかりに取材帰りに秋葉原へ直行してしまった。ところが手頃な価格のものはどれもいまいちだ。モノクロ液晶だし、見づらいし、OSの選択すらできない。
 かといって、リブレットのようなサブノートではちょっと買うわけにはいかない。はるかに予算オーバーだ。
 というわけで手にいれたのがIBM のPC110というファンキーなマシン(李さん曰く)だ。これは基本的にはDOS/Vマシンだし、汎用性もある。39800円のいちばん安いのを買ったのだが、他に母艦となるDOSマシンを持ってないので、たいへんな苦労をすることになるが、それを書くのは、またべつの機会にゆずることにする。
 ネタばらしをしておくと、VirtualPCでMacをDOS/Vマシンにして解決したと思いねぇ。
 このPC110にフリーウェア、シェアウェアを使ってエデイタ、通信、画像表示をできるようにした。そのうえWebBoyというブラウザでインターネット接続もできるようにしてしまったのだ。
 こうなったらモバイルで使わないわけにはいかない。いきおいでDC-1PデータカードとPHSも購入。これで電波の届くところならどこでもインターネットでメールをやりとりできるし、ニフティだってバッチリだ。
 完璧な布陣をしいたと思っていたのだが、ひとつ重大なことに気がついた。仕事がら、毎日外へでるわけでもなく、家にずっといるわけだし、忙しくなればなるほど家から外へ出ないのだ。
 そうだったのだ。おれって外出しない人だったのだ。家のベランダからPIAFSでインターネットにつないでみるのがむなしい今日このごろである。

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1998年3月23日 (月)

世界最小のMacOS互換機?

 携帯用にIBMのParmTopPC110というDOS/Vマシンを使っている。
 テキスト打ち、通信、インターネット、画像表示、MIDI再生とひと通りのことはPC-DOS上でできるのだが、こちらも通りすがりのMac使いだ。できればMacを持ち歩きたい。
 ところが、Macにはサブノートのカテゴリーに属する機種がないのだ。新ノートはより大きく、機能てんこ盛りになっていく。重量にして3キロはくだらない。
 いちばん小さなPowerBook2400でさえ、A4より少し小さく、1.98キロとほとんど2キロだ。これにACアダプター、PCカードを持ち歩けば、やはり重たい。1キロ以下のサブノートがそろっているWindows95陣営がうらやましいところだ。
 そんな状況を打ち破るかもしれないものをインターネットで見つけて狂喜してしまった。それはインテルチップ上で動くMacエミュレーターだ。EXECUTOR(ARDI社製)という名のそやつは、DOS、Windows3.1/95、Linux上で動作する。このDOS上というのがすごいではないか。さっそくデモ版をダウンロードしてきた。(http://www.ardi.com
 ZIPしてあるそやつを解凍してインストールし起動した。Macのファインダそのものは著作権上使うことはできないので、独自のブラウザが付属している。ここからMacのアプリが動作するというしだいだ。
 メニュー表示を見て、なんだ4.7インチというサイズの画面でも実用に耐えるではないかと思う。こりゃいけるわい、いひひひひ。といろいろなアプリを試してみる。(画面イメージ。JPEG50KB)

 現在のところ、英語しか使えず制約も多い。互換性に対してはかなり低いといわざるおえない。まず、当然のことだが日本語のアプリはダメ。グラフィック関係もダメ、シリアルポートが使えないので、通信やMIDIソフトがダメ。Macのハードに依存したソフトがダメというぐあいで、動かないもの、起動だけするもの、起動して使えるが、ある動作で決まってフリーズしたり、その機能だけ使えないものがかなり多い。
 OSのバージョンとしては、6.0.7のシングルファインダをサポートしている。これって、オレが初めてMacを買ったときのバージョンだ。もちろんこっちは漢字Talkだけど。
 この後システム7になったとき、日本ではアメリカより1年半以上遅れてリリースされた。EXECUTORを使っていて、このときの感覚を思い出してしまった。もうひといきで使えるのに、または中途半端に使えてくやしいなーという感覚である。
 これが楽しい。どうすれば使えるのかとか、日本語化は不可能なのかと試行錯誤をして、ただウィンドウを開け閉めしてるだけでアヘアヘアヘ状態となり、まったくのMacサルとなっている日々が続いている。
 PC110という世界最小MacOS互換機としては、DOS上では代替できなかったQuickTimeやハイパーカードといったMacのいちばん他人に見せたい部分が使えない。
 これじゃ、持ち歩いてもなんのためのMacOS互換機なんだかわからないが、でもいいんだよなーこれが。忘れかけていたMacの楽しさがふつふつとよみがえってくるのだ。
 Macの楽しさを再発見させてもらったが、これが、PowerPCを推進するAppleにとって、敵対陣営であるインテル(及び互換)チップ上で動いているところがなんとも皮肉ではないか。 

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1998年7月 6日 (月)

カナとローマ字

 キーボードを「カナ」で打っているというと、げげーと不審な顔をされることが多い。

 最近、コンピューターをはじめた奴は、ほとんどがローマ字入力だ。タイプライターを打つのと同じ英字による作業は、日本が進駐軍に占領されていたことを思い出させてくれるのにやぶさかではない。

 じゃ、なんでおまえはカナ入力なんだよーと言われれば、これは、コンピューターに初めてさわった時代のなせる業だ。

 最初にさわったのは、1982年で、ソード社のコンピューターだった。PIPSという統合ソフトを使わされたのだが、このソフトでは日本語があつかえるとされていた。

 当時は、パソコン用に日本語の変換プログラムなどはなかったため、日本語のあつかいはカナだった。そのために、どうしてもカナの文字配列をおぼえる必要があったのだ。

 この時代のワープロは、専用機という形でしかなかった。当時600万円ほどしたシャープ製のワープロは、漢字の一覧テーブルから、1文字ずつ文字を選択するという、和文タイプの親分のようなものだった。これは、文字を探さなくてはならないので、文章を書くのには非常に効率が悪い。それでも、慣れてくれば、かなりの速度で文字が書けたという。

 そして、その数年後、日本でも、パソコン通信がはじまった。大手も草の根もない、ほんとに混沌としていた時代だ。

 そんな時代に、BBSへの書きこみは、たいていANKというカナかローマ字の1文字のあつかいでおこなわれていた。誰もがかな漢字変換ができたわけではないので、読んでもらうことを考えてのことである。

 すでに一太郎は世にでていたが、PC9801用であった。しかし、そんな高価なコンピューターは、使っている者が少なかったのだ。

 たいていは8ビットの、いろいろなメーカーのパソコンだった。そんなわけで、書きこみに漢字を使うと、まわりから文句がでるため、ANKしか使えなかったのだが、ここにもローマ字派とカナ派がいた。

 ローマ字だと、Kyou watashiwa Densya no Nakade Chikan ni Aimashitaというような書き方になる。

 それに比べ、カナなら、キョウ ワタシハ デンシャ ノ ナカデチカン ニ アイマシタ となるわけで、どちらのほうが読みやすいかは一目瞭然であろう。

 そんなわけで、ずっとカナで書いているうちに、カナ打ちのクセがついてしまったのだ。そんなとこへ、かな漢字変換機能を持ったワープロソフトが出てきても、やっぱりカナで打つという姿勢は変わらなかった。

 この時代には、カナ打ちの人々がたくさんいたようで、パソコン通信で有名になった「ミカカ」とか(NTTのこと)、英文字をカナで打ち間違えた文字が符丁として使われることが多かった。

 そして、時代は進みパソコンも普及した。現在では、コンピューターを買った人が、最初にキーボードをおぼえるのは、ローマ字配列だということだ。理由は、カナだと50字おぼえなくてはならないが、ローマ字だと26文字で済むからだという。

 しかし、打鍵は1文字打つのに2倍になるわけで、ものすごくカチャカチャとせわしなく打っているのに、それほど文字が入力されていないという感じがする。

 カナで入力したらどうかと言うと、怪訝な顔をされるし、親指シフト派からも、カナ入力は効率的でないと差別されるし、カナ入力派は、縄文人と弥生人みたいに、古い人種として淘汰されてしまうのだろうか。

 先日、国立民族学博物館顧問の梅棹忠夫さんにお会いしたときに、日本語の乱れを嘆いておられたが、しまいには、「もう、日本語の文章はローマ字で表記したらええ」と悲観したようにおっしゃっていた。

 またまた、パソコン通信黎明期に逆戻りかいな、そんな殺生な。 

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1998年10月12日 (月)

秋葉原へは2度通う

 最近、どーも電気製品と相性が悪い。
 いままで、電気製品とは仲良くやってきたほうなので、なんだか裏切られた気分だ。他では調子悪いとか、壊れるとかいうことをよく聞く製品を使っても、故障することもなく、なんの問題もなく使えていたのである。
 それがどうもあやしくなってきたのは去年あたりからだ。まずは、買ってきたばかりのTAが煙を吐くという事態にぶちあたった。日本の電気製品は出荷時の検査もちゃんとしてるし、壊れないと信じていたら、この始末だ。
 サポートへ電話して、煙が出たと言うとサービスマンが飛んできた。そのまま新品と交換である。よほどまずいことだったらしい。
 サービスマンに、原因だけはちゃんと報告するようにと言い含めておいたのに、なんの連絡もない、どーなっておるのか。
 この後、買った電気製品がどんどんとトラブるようになった。MOドライブを買えば、ケーブルがまちがって入っているし、ビデオカードは1か月で故障するといった具合だ。
 こうなると、秋葉原で買い物をして帰ってくると、必ず翌日にも秋葉原へ行くようになってしまう。
 中古のWindows95サブノートを買ったときには、OS付属というスペック表につられて、ペンティアムでいちばん安いのを買った。
 ところが、付属しているOSのインストール方法がないのである。ついているのはCD-ROMだし、サブノートなので FDD以外は付属してないのだ。
 サポートへ電話すると、インストールサービスがあるので、そこへ頼めという。そしてのこのこと、また出かけていくはめになった。
 結局そのサブノートは動かしたいソフトが動かないという致命的な事態が発覚し、Libretto70と差額交換となった。
 また、PC110用にメモリを買えば、BIOSアップデートが必要なことを店員がおしえてくれず、自宅で装着し、うまく動かない事態になった。
 サポートへ電話すると、初期不良なので交換するという。こうして翌日も秋葉原だ。そこで、さんざん待たされたあげく、わかったことは、BIOSアップデートが必要ということだった。それから、ワークショップへ行き、さらに待たされたあげく、やっとメモリはきちんと認識されるようになった。
 そして、昭和38年には東京オリンピックの開会日であり(晴れの確率が異様に高い特異日なんだそうだ)、それを記念して祭日となった10月10日に、とうとうG3ドーターカードを買った。
 レビュー用にいろいろ借りてたことがあるので、現行の604e/200と取り替えても、どのぐらいのクロックのものでないと、速さを実感できないかわかっていたので、300MHzのものが欲しかった。しかし、それらのカードは、もう1台G3Macが買えるほどの値段なのだ。とても買う気にはなれなかった。
 どーしてこんなに高いのかG3と、ぶつぶつ文句を言っていたときに現れたのが、PowerLogix社のPowerForce G3、300/120/512Kというカードだ。
 これは元々、220/110/512Kというカードの基板に300MHz対応版のPowerPC750を間違えて載せてしまったという失敗作なのだ。ところが、バックサイドキャッシュのクロックを落とせば、立派に動くところから、格安300MHzG3カードとして販売されるようになったいわくつきの製品である。
 8万4800円という価格は、他のG3カードと比べると半額に近い。限定本数しかないので、借金をして買いに走った。
 部屋に帰って装着すると、起動音もなにもしない。あれこれ設定をいじってみるが、まったくダメだ。
 サポートへ電話すると、初期不良かどうか確認するから、持ってきてくれという。
 こうして、翌日もまた秋葉原詣でとなった。そして、行くたびについ別の物を買ってしまうのだ。
 この不況時に生き残りをかけて、秋葉原へ金を落とさせようと、見えないところで電気製品たちのたくらみがあるのではないかと考えてしまう。

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1998年12月28日 (月)

吐き出した思い

 友人の奥方が、最近コンピュータをはじめた。機種はWindowsマシンだ。
 なにをしているのかと聞くと、ビジュアルベーシックを使ってプログラミングをしているという。見上げたものである。
 アプリケーションを使うのにも、四苦八苦している初心者がいるというのに、いきなりプログラムとはねぇ。
 その昔、パワーユーザというのが、あこがれの的だった時代がある。なんとなく、ものすごいコンピュータの使い手のように聞こえるが、なんのことはない、プログラムをつくることはできないものの、コンピュータを自分一人の力で使いこなすことができる人という意味らしい。
 まったく恥ずかしい言葉だ。最近では、パワーユーザなどと呼ばれるぐらいなら、アプリケーション・プレイヤーと呼ばれるほうがいいのではないかと、ひそかに思っちゃったりしている。
 その奥方に、インターネットは始めないのか聞いてみると、「いやだよ、他人のゲロ見るなんて」という答えが帰ってきた。
 まったくもって慧眼の至りである。
 インターネットだ、コンテンツだ、ストリーミングだ、チャットだ、ページャーだと、なんだかんだ言っても、つまるところは排泄物、もしくは勝手に吐き出したものの集まりだと思うのだ。
 春になり、新学期が始まるころと、学園祭の時期には、街中にゲロがあふれだす。押さえきれずに吐いてしまったものばかりだ。
 ふつうに道を歩いていれば、そうしたものを見つければ、よけて通るはずだ。まちがっても近づいていき、真ん前にしゃがみこんで「ほうほう、これはこれは、うんうん、タコを食べましたね。焼き鳥は、はつとシロですか。うんうん、それから、最後にラーメンですな」などとつぶやきながら、そのゲロをちょっと指につけてなめてみて、「ビールとワインをちゃんぽんですね。あとで、ジンを飲んでますね。最後の焼酎が敗因かな」などという行為をする人はいないだろう。
 または、ものすごーい美人が吐いたゲロに向かって「君のものなら飲める」とダイビングしていく人も、まぁ、あまりいないのではないだろうか?(その昔、電車のなかで自分の吐いたものに突っ伏していく美人は見たことはあるが)
 ところが、これらがインターネットのコンテンツとなると、同様の行為をしている人々は数え切れないほどいると思う。
 ホームページをのぞくことは、他人のゲロをなめてみるようなものだから、ちょっと腰が引けてしまう。
 かといって、ゲロに善悪はないし、有益、有害もない。ありがたいものでもありがたくないものでもない。そこにあるだけだ。しかし、ゲロにはゲロの理屈がある。
 道ばたにあるゲロになら、言われなくてもそれにまみれることもなく、分別ある行動がとれるのに、インターネットのゲロとなると、なぜか、そこへ突っ伏してしまう人や、まる飲みしてしまう人、いっしょに吐いてしまう場合があるのはどういうわけだ。
 さらにインターネットは、つぎつぎと新しいゲロの吐き方をおしえてくれる。新しい方法は面白いし、かっこいいかもしれないし、スリリングであるかもしれない。しかし、吐いている中身は、なにも変わらずゲロであることを自覚しておいたほうがいいだろう。
 ゲロが吐かれた通り道、これがインターネットではないだろうか。なんだか、書いていて気持ち悪くなってきた。
 よーし、インターネットへ、ぶぁーっと吐きに行こうっと。 

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1999年2月 8日 (月)

Sorry! Japanese Only

 日本のインターネットWEBサイトで、よくみかけるものに、Sorry Japanese Onlyという表記がある。
 イナターネットはよう、世界共通というけどよう、どうせ、英語が共通語なんだべや? けどよう、おらたちは、英語わからんけん、こっちのはじっこのほうでチマチマやっとるけん、紅毛碧眼の異人さんたちぃ、だまって見逃しておくれやす。というような態度がみえかくれする注意書きだ。
 実際問題、インターネットは世界に開かれているといっても、その大部分は英語の世界だ。ホームページを開けば、世界中からアクセスがあるなどと思うのは、まったくもってナンセンスと考えてもいいだろう。
 言葉がわからなくても、みてもらえるのは、エッチ画像か、絵や写真のたぐいだけだ。日本語でなにか意見を書いていても、世界には通用しないのだ。
 と、卑屈になることはない。なぜなら、現在、インターネットでの汎用言語、UNLが開発されているからだ。
 UNLはUniversal Networking Languageの略だ。これは、インターネットで使用する中間言語ということである。
 いままでの翻訳ソフトだと、英語から日本語、日本語からフランス語と、特定の言語から言語への翻訳をするだけだった。
 これでは、翻訳する言語ごとに、別のアルゴリズムが必要で、言語の数以上に翻訳ソフトが必要になり、その数は膨大なものになるのはまぬがれない。
 ならば、中間言語をつくればいいのではないかというのがUNLの発想だ。これなら、世界中の国々が、母国語と中間言語への翻訳ソフト(エンコンバータ)と中間言語から母国語への翻訳ソフト(デコンバータ)をつくれば、それだけで済むことになる。
 これらは、インターネットブラウザのプラグインとして提供されるとのことなので、どこの国の、どの言語で書かれたホームページでも、UNL化されていれば、読む方にとっては、元の言語を気にすることなく、母国語でみることができるのだ。
 この話を聞いたとき、ははぁ、これはスタンダードMIDIファイルだなと思ってしまった。MIDIというのは、音の高さ、強さ、長さを表記したデータ形式のことである。
 これにより、電子楽器をつないで演奏できたり、コンピュータで電子楽器を演奏させることができるようになったのだ。
 このMIDIも、始まった当初は、MIDIデータをつくるシーケンスソフトの固有のデータ形式しかなかった。Aというソフトでつくったデータは、Bというソフトでは使い物にならなかったのである。
 それは不便だということで、各ソフト間でのデータコンバータが開発されたが、ソフトの数が増えてくると、混乱するようになった。
 AのデータはBでは読めるが、Cでは読めない。だが、Bでは読めるので、AからBへ読み、さらにCで読むということがおこなわれた。しかし、変換につぐ変換なので、データとしては完璧ではないという事態になったのである。そこで、アメリカのオプコード社が、スタンダードMIDIファイルを提唱した。
 ある決まったデータ形式を定義するので、みんな、それへのエンコーダーとデコーダーをつくるようにと、勝手にはじめてしまったのだ。
 文句をいっても、ソフト会社にとっては、1種類の変換ソフトをつくればいいだけなので、スタンダードMIDIファイルは、あっという間に普及した。そして、今では、どんなシーケンスソフトでもスタンダードMIDIファイルによって、正しくデータ交換ができるようになったのである。
 UNLは、これを言語でやろうとしているのだと理解している。推進しているのは、国連大学であるから、怪しげなものではないことは確かだろう。
 現在のところ、12カ国語の変換プラグインソフトを2000年までに用意するということだ。そして、将来的には、全国連加盟国の言語変換プラグインソフトを完成させるという。
 こうなれば、なにも日本語ですまんなどと書いておく必要もなくなるのだ。もっとも、読むに値しているかどうかという点については、なんの保証もできないが。 

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1999年5月17日 (月)

リソースの値段

 インターネットは、そのおおもとが軍事技術だった。通信用のコンピューターが攻撃により破壊されても、有機的に伝搬経路をさがして、通信が途絶えないようにする。
 後年、大学や研究機関、政府のコンピューターが結ばれたときに、研究者たちはこの仕組みを使おうと考えても不思議ではない。
 世界規模でネットワークがつくられれば、場所や時間に関係なく、情報の格差にも悩むことがなくなる可能性に気がついたのだ。
 WWW(ワールド・ワイド・ウェッブ)という、現在のホームページで使われている技術は、欧州素粒子物理学研究所(CERN)の研究員の手によって開発された。ネットスケープなどのブラウザで見る、読むという行為は、ここで当たり前のものとなったのだ。
 このように、おおもとが軍事や研究といったところから出発しているために、経済活動、簡単にいえばお金のやりとりをすることについては、まったく度外視されてきた。
 ここへ1990年代なかばから、ふつうの価値観、世界観、経済形態を持った連中が大挙してやってきた。この変化にインターネットはまだうまく対処しているとは思えない。
 よく、マスメディアというが、これらは新聞や雑誌、テレビ、ラジオ放送をさす。メディアというのが、カセットテープ、フロッピーディスク、MOなど、記憶できる物をさすときもあって、わかりづらいが、ようするに、いれもののことと同じと考えていいだろう。
 このメディアの内容物をコンテンツとかいってるが、記事、番組、情報と考えてかまわないと思う。
 旧来のメディアでは、番組や記事は、送り手側の制作となる。送り手側が独自の取材をしたものを、提供し、その対価として金が動いたのだ。
 送り手は内容を提供し、受け手はその対価を支払う。これがいちばん単純な形だ。この後、広告の出現により、受け手はタダでも内容を享受できるシステムができたが、これとて、じつは自分の時間、もしくは製品の価格に上乗せされた広告費を払うという形で、その対価を支払っているといえる。
 ところが、インターネット、とくにWWWでは、送り手と受け手の関係があいまいだ。送信もすれば受信もする。そのからみあった形となっている。
 これは、研究者たちの情報交換を目的として発生したというルーツから考えると、この形しかなかったといえるだろう。
 WWWでは、ハイパーテキストという考えが基本になっている。なにもむずかしいことはない。マウスで文字や絵をクリックして、他の文章、絵が開くことは、日常的に経験していると思う。このリンク構造を持つのが、ハイパーテキストという考え方だ。
 したがって、WWWでは各自の持つ情報を資源(リソース)とし、そのリソースの活用によって成り立っている。
 ある研究テーマで、自分の考えの構築のために、他者の考え(リソース)を組み込んで使うことはかまわなかったのだ。でなければハイパーテキストとしての意味は少ない。世界規模での情報の共有化、プールが始まったのだ。
 インターネット、WWWでは、助け合いというか、お互い様という部分がある。発信だけの人、受信だけの人はなく、ひとつのコミュニティをつくっていたのだ。
 ここへ一般人、既存メディア、その他有象無象が大挙してやってきたからたまらない。いままで、食べ物をわけあって暮らしていた集団へ、むさぼり食いつくす集団がやってきたのだ。しかも、そこにある食べ物はタダだ。というか、お金をとる術がなく、貨幣のない国という状態なのだ。
 最初はニコニコと食べ物を差し出しても、つぎからつぎへと消費されていくだけで、奪われていくだけになったとき、それに嫌気がさしたなら、この国ではリソースを持って消えていくしかない。つまりはWWWサイトを消滅させてしまうことでしか、無限に食われていく状況はなくならないのだ。
 インターネットでは、資源にたいする対価は、栄誉を送ることしかなかった。だが、それは限られたコミュニティだからできたことだろう。
 だが、これだけ一般社会の価値観が持ち込まれては、対価に関しても意識の変革をしていくことが必要だと思う。インターネット内の、リソースを持つもの同士では、やはり、持ちつ持たれつの部分があるから、単純に金をよこせとはいえないが、他のメデイアから、リソースを使いにくる場合は、対価を支払ってもらいたいと思うし、送り手、受け手に棲み分けられた状態になったときにも、受け手は対価を考えないといけないだろう。
 でないと、リソースは消えていき、空虚な空間だけが残るということにならないとも限らないのである。
(今週は豪華2本立て--宇宙項のまちがいへ)

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1999年5月31日 (月)

私的BBS論

 こういってはなんだが、パソコン通信歴は古い。アスキーネットやPC-VANが無料のテスト時代から参加していたし、1989年ごろには、某BBSでサブシスオペ(話題の舵取りをする管理者のようなもの)もしていた。
 だが、当時から思っていたことだが、掲示板への書き込みの95パーセント以上は、教えてください。助けてくださいといった類の書き込みだ。あるテーマにそっての議論など望むべくもないのかもしれない。
 議論にしようと思っても、すぐに感情的になり、誹謗中傷になる。日本には、議論をしていこうという姿勢がないのかと暗い気分になった。
 日本では、掲示板(ブリテインボードシステム=BBS)において、なにがしかの答えが出たためしはないのかもしれない。
 つまるところは、井戸端会議である。他人の日常、スーパーの買い物の話、メシの話を聞いても、なんら得るところはない。それらは、地域、職場などの人間関係に根ざした閉鎖されたグループにおいてしか意味がないのだ。
 せっかく、性別、時間、距離、社会的地位を抜きにした議論の場が与えられているというのに、むずかしいことを考える人は別人種だとか、学歴が違うという理由で自らそれを放棄してしまう状況がある。
 それは、とてももったいないことだ。
 やせがまんをすること。知らないとさじをなげないこと。自分で調べること。調べたことを武器にすることができれば、どんな人との議論においても、臆することはない。内容的に理論だてされた内容なのか、ただのオタク自慢話なのかを見抜ければ、わからない内容にとっかかりができる。ただのオタク話にはNOをつきつければいい。
 純粋に議論をしていくこと。これが日本におけるBBSのあり方を問うことだと思う。
 日本のBBSがダメになっていくのには、ひとつのパターンがある。議論が徹底しておこなわれず、日常報告会になっていく。そして、その書き込み者のグループのなかで、オフ、つまり、実際に会う連中が現れることだ。こうして、毎週曜日を決めてオフ会をはじめる連中があらわれるわけだが、それをBBSにまで持ち込むのである。
 他人がいつ会おうと、なにをしていようと、かまわないのだが、時間、距離、性別、社会的地位を越えた場所に、こないだはどうもなどという会話があふれてくる、またはそれだけの話題しかなくなってしまうと、もうダメなのだ。
 制約により、オフに参加できない連中から、不満があがるようになる。いわく、情報格差があるのではないかということである。これはまぁ、とうぜんなのであるが、そうなるとオフに参加できない面々からの苦情があがり、オフ参加派とオフ非参加派の軋轢が生まれてくる。
 こうなったら、そのBBSは終わりである。そうしたBBSを、10年の年月のなかでいくつ見てきたことか。あまりにもバカバカしいと思う反面、日本に本来のBBSの姿はないのだとも感じた。
 いまだに通信後進国だと思うのは、こうした点からだ。10年経とうが、何年経とうが、なにも変わってはいない。すでに、当時の通信仲間たちは、あきれはててネットから姿を消してしまった。何年か訴え続ければ、状況が変わると信じていたのに、そうではないことに耐えられなくなったのだ。
 ホームページがでてきたとき、BBSと違って、個人の意見が述べられる。または、そうした意識を持った者しか作らないというので、歓迎もしたのだが。いつのまにか、BBSだのチャットだの、ページャーだのの世界となってしまった。
 これらは、通信にかかる時間を増やせるということで、通信回線業者にとってはいい儲け口だ。それに踊らされてしまう者が多く、議論の場として確立していないBBSという舞台に、またまた引きずりもどされてしまうということは、苦痛でしかない。
 すべてのネット関係者よ、ネット関係の記事を掲載している雑誌編集者よ。このくだらない状況をどう説明してくれるのだ?
 そうではないことを証明するために、すぐにでも立ち上がろう。掲示板ではテーマを決めて議論すること。また結論がでるまであきらめないねばり強さを持とうではないか。もうゴミはごめんだ。 

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1999年10月25日 (月)

Mac使いはどこへ行った

 いまでは信じられないだろうが、わしがMacを使い始めたころには、コーヒーをだしてくれる店がけっこうあった。
 コンピューターをあつかっているショップなのにである。店のなかには、Macにまざって、コーヒーメーカーがおいてあり、たずねてきた客に、紙コップでコーヒーをだしていたのだ。
 これには困った。1日何軒ものMacショップをまわると、店ごとにコーヒーをだされて、ウッという気分になってしまう。それに、だいたいが、コーヒーメーカーのなかで煮詰まってしまっていて、お世辞にもうまいコーヒーではない場合が多かったのだ。
 昔のMacショップは、立地条件の悪いところにあった。Macは少数派で、電気街のなかでもしいたげられていた感がある。
 ビルの2階以上に店があることが多かった。歩いていて、フラっと入れるような条件ではない。なかには、マンションの一室を店にしているようなところもあり、靴を脱いでスリッパであがる店もあった。
 こうした店に入るのには、勇気がいる。フラっと入って、店内を見回して出てくるということがしづらいのだ。
 この当時、Macはバカ高かった。このころの最新機種であるQuadra900は、130万円ほどしたし、Quadra700でも110万円ほどした。とても買えたものではない。
 68040機が発売されると、以前の68030機が値下がりを始めた。60万円ほどしていたSE/30が29万8千円になった時に買ったのだが、当時、大阪方面で、このSE/30が22万円ほどで投げ売りされたという情報があった。
 いまのようにインターネットがあるわけではないので、買うためには直接大阪へ出向かなければならない。新幹線代を使っても東京で買うより安いなどと、雑誌の広告をながめため息をつく日々だった。
 本体が高いため、ソフトも高かった。とてもおいそれと買えるわけではないので、いちばん最初に買ったソフトは、AfterDarkというスクリーンセーバーだ。なんでもいいから、カラーの画面がみたかったのである。
 で、そうしたソフトを買うためには、コーヒーのだされる店へ行かなければならない。ソフト1本をすっと買って帰ろうと思って店へ入ると、すかさずコーヒーをだされるものだから、なかなか時間を食う。
 ヒマつぶしにMacにさわり、ソフト全体を見回し、首を傾げたりして時間をつぶす。
 こうした店には、なぜか常連客がいて、Macのことを声高々と話していたりする。コピーしほうだいのフリーウェアのサービスを提供するMacの前にずっと座っていたりする。
 ソフトの前で、うーんとうなりつつながめていると、こちらが聞いたわけでもないのに、ソフトの解説をはじめる。それも、こちらへ向かって話すのではなく、ソフトに向かったまま「これは○○というソフトで、どうのこうの」と能書きをたれる。なかには、これは買わないほうがいいなどと独り言をいっている者もいた。
 また、知識を披露するのがすきなのか、ハードディスクを持ち上げて、「これはSCSIだけど、Plusには使えない。そのわけは……」などと説明をしている。これらは、みな独り言なのだ。
 こうした、コーヒーサービスと、Mac使いの客のいるせいで、Macショップには、なかなか足が向かなかった。敷居が高かったのだ。
 こうした風潮がなくなりはじめたのは、Macが安くなった頃からだ。安くなったといっても、普通の店では、まだ高いものだった。Macの普及は、いまはなきSTEPなど、サービスなし、説明なし、箱売り、だけど安いという店の努力によるものだと思っている。当時の日本でのMacの価格は、1ドル360円換算に近かったのではないだろうか?
 60万円近いものが、1か月で30万円を切ってしまうなど、買うほうにとってはバクチに近い。タイミングが悪いと、買った翌日に値下がりするということもあったのだ。
 こうなると、客はあらゆる情報と足をたよりに安いMacをさがし歩く。とてもコーヒーのでる店へは寄っているヒマがない。
 店の方も、安売り競争にまきこまれていくわけで、とてもコーヒーをだしているどころではなくなった。なるべく立地条件のいいところへ店を移し、通りからフラっと入ってこれるようにするか、立地条件の悪いところでは価格で勝負という事態になったのだ。
 こうしてMacは安くなり、昔よりはダントツに台数も増えたが、店にたむろするMac使いの姿も消えていった。
 このMac使いたちに、愛憎入りまじりチャンプルー状態で誕生したのが「通りすがりのMac使い」なんである。聞いてもいないのにMacの説明をしてくれるおせっかいな客、どこからともなくあらわれて、耳元で、「それは買わないほうが」とつぶやいて消えていく客。そうした彼らが「通りすがりのMac使い」のモデルなのだ。
 先日も量販店でiMacDVが展示されているところへ、コギャルが2名あらわれ「これってぇ、よく考えると安いよねー」などとほざきつつ、マウスでグリグリといじっていたが、操作法がわからないのか、適当にさわって、どこかへ行ってしまった。
 つい「そりゃ安いよ、昔に比べりゃな。悩まずに買え! 買ってから悩め」などと小声で話している自分に気がついた。ああ、消えたと思っていた「通りすがりのMac使い」はここにいたのだ。

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2000年1月10日 (月)

OSの終焉

 近年のパーソナルコンピュータ戦争において、いちばんクローズアップされていたのはOSの争いだろう。
 いまんとこ、世界の大半のパソコンはマイクロソフト社のWindows(95/98/NT/CE)というOSで動いている。
 他にはMacOSや、最近急激に勢力を拡大しつつあるLinuxなどがある。もちろん、パソコン以外ではUnix系やTronなど他のOSもある。
 OSとはなにか? それはパソコンのハードを使うための命令を含んだシステムである。このOSで主権をとれば、世界中の数多くのパソコンで使用されることになり、多大な利益をあげることができる。
 マイクロソフトが、MS-DOS時代から進めてきた戦略は、Windowsにより、世界の大半のパソコンで使われることになった。それで、ビル・ゲイツは世界一の金持ちとなったのだ。
 こうして栄えてきたOSの勢力争いだが、どうも未来がなくなってきたように思える。
 昨今、パソコン人口を飛躍的にのばしたのは、インターネットの利用だろう。電子メール、Webブラウジング、チャットなど、コミュニケーションツールとしての利用がメインだ。誰もが数学的な計算をするわけでもなく、物理シミュレーションをするわけでもない。ましてやプログラムをするわけではなかったのだ。
 こうしたインターネットの普及に対して、各OSはインターネットとの親和性をアピールするようになった。
 しかし一方では、非パソコンにおけるインターネット利用も進みつつある。携帯電話もといケータイによるインターネット接続は、当たり前のものになろうとしているのだ。
 パソコンの使用目的がインターネットへの接続なら、すでにパソコンを使わなくてもいい状況となってきている。
 たとえば、ケータイを使い、インターネットに接続するのは、ボタンひとつ押すだけだ。これで、メールが使え、Webブラウジングもできる。これほど簡単なので、いまや、メールというと、ケータイを使ってのメールの方が一般的になりつつある。
 これに対し、パソコンではインターネットへの接続だけでも大変だ。TCP/IPだの、PPPだの、IPアドレスだの、DNSだの、POPだの、アカウントだのパスワードだの、さまざまな設定をしないと接続することができない。おまけにモデムなどハードの問題もある。
 なかには挫折して、つなげないままパソコンを押入に入れてしまった人もいるという。目的を達成する手段の段階でうまくいかないのだ。これではなんの意味もない。
 パソコンを使い、OSを使い、ソフトを使わないとインターネットひとつ利用できないわけだ。こんな環境には未来はないと言わざるを得ない。
 目的のためには、OSやソフトなどの手段は邪魔な存在だ。姿をまったく消したまま、やりたいことだけができればいい。
 ケータイはパソコンにはおよばないと考えているようだが、パソコンの世界で考え出されたネットワークコンピュータ、ウェアラブルコンピュータはケータイによって、2年以内に実現されようとしている。
 動画を見ること。音楽をネットで買い、聞くこと。電子メールの送受信。GPS。テレビ電話。表計算、ワープロなどの利用、今、パソコンでやっていることの95パーセントはケータイで事足りるようになる。
 もちろん、多少のハード、インフラの進歩は必要になるが、この部分に問題はないように思える。そのうえ最初から、パソコンが今頃になって目指しているコミニュケーションツールだ(笑)。
 そんな時代には、パソコンという箱は必要なくなるだろう。パソコンを使うのは、特定の仕事をする人か、酔狂な人、パソコンが趣味の人だけとなる。
 OSが前面に出てくる時代は終わり、これからは組み込みOSなどによって、できる事だけが問われるようになるだろう。いくら見た目を変えても、習得する必要のあるOSは消えゆく運命なのだ。 

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