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1998年3月 2日 (月)

モバイルはじめたけど

 PowerBookの重さと大きさはなんとかならないのか。
 昨年末、わけあって毎日190csを持ち歩くはめになっていたのだが、腰をやられてしまった。もうちょいでギックリ腰だ。
 地方へ取材ででかけるときにも持っていってたのだが、やはり、コンピュータを持ち歩くのはやめようと、持っていかないときにかぎって家の留守電に「原稿のことで緊急に用があるのですが、メールしておきます」などというメッセージがはいっている。
 だいたい、ホテルに帰って、家に電話してみるのは夜中だったりするので、もう編集部へ電話しても誰もでない。いったいなんなんだよーと眠れなくなってしまう。
 そこで、メールチェック用にモバイルコンピュータだとばかりに取材帰りに秋葉原へ直行してしまった。ところが手頃な価格のものはどれもいまいちだ。モノクロ液晶だし、見づらいし、OSの選択すらできない。
 かといって、リブレットのようなサブノートではちょっと買うわけにはいかない。はるかに予算オーバーだ。
 というわけで手にいれたのがIBM のPC110というファンキーなマシン(李さん曰く)だ。これは基本的にはDOS/Vマシンだし、汎用性もある。39800円のいちばん安いのを買ったのだが、他に母艦となるDOSマシンを持ってないので、たいへんな苦労をすることになるが、それを書くのは、またべつの機会にゆずることにする。
 ネタばらしをしておくと、VirtualPCでMacをDOS/Vマシンにして解決したと思いねぇ。
 このPC110にフリーウェア、シェアウェアを使ってエデイタ、通信、画像表示をできるようにした。そのうえWebBoyというブラウザでインターネット接続もできるようにしてしまったのだ。
 こうなったらモバイルで使わないわけにはいかない。いきおいでDC-1PデータカードとPHSも購入。これで電波の届くところならどこでもインターネットでメールをやりとりできるし、ニフティだってバッチリだ。
 完璧な布陣をしいたと思っていたのだが、ひとつ重大なことに気がついた。仕事がら、毎日外へでるわけでもなく、家にずっといるわけだし、忙しくなればなるほど家から外へ出ないのだ。
 そうだったのだ。おれって外出しない人だったのだ。家のベランダからPIAFSでインターネットにつないでみるのがむなしい今日このごろである。

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1998年3月 9日 (月)

モバイル旅行にでかけた

   雨は雪にかわるのか。
 PC110という携帯コンピューターを買い、モバイルができるようになったので、旅にでることにした。
 ことの起こりはこうだ。夜中に友人とワインをきこしめしているうちに温泉だという話になった。ふつうならパンフレットがないとか、本で調べようということになり、翌日になれば、きれいさっぱり忘れているというのはよくある。
 ところがいまはインターネットがあるのだ。「温泉、温泉、温泉」とわめきつつインターネットをうろつく。しばらくして「うめや」という旅館のホームページを発見。フロント、風呂、部屋などが見られるようになっていて、見ているうちに、もう行った気分。とどめに米沢牛のすき焼き写真を見て、もーいくけんねとメールを送りつけた。それも明日泊まるという内容だ。ダメならあきらめようということだったが、OKということで翌日には出発というのだから、インターネットおそるべしだ。
 その出発の朝から雨なのだ。なんでも発達中の低気圧が3つもやってきていて、日本上空で待ち合わせをして大暴れをしてやろうというのだからたまらない。
 行こうとしている山形県の小野川温泉は雪だという。それも風雪強しとのことだ。
 無事にたどりつけるのか、この旅はカーナビゲーションにまかせることにした。目的地を設定。ふてくされた女声でナビゲーションがはじまる。
 おいおい、のっけからどこへ連れていこうというのだ。温泉とは反対方向へナビされる。練馬へ連れていかれ、東京外環道で東北道へというコースらしい。最初からいえつーの!
 東北道は予想に反し晴天だ。どこが雪やねんといってると那須をこえたところで雪となった。しかし、そんなことにはおかまいもなく皆ブイブイ飛ばしていく。雪で80キロ制限になっているが、その速度で走っていればどんどんと抜かれていく。どうなっておるのだ。
 こうして雪で動けなくなることもなく米沢へ着いてしまった。朝8時半に出発し、午後1時には着いてしまったから4時間半の行程だ。もっともオレには車に乗ると1時間おきにオシッコがしたくなるというくせがあるので、サービスエリア各駅停車の結果だ。オシッコががまんできる人ならもっと早く着けるだろう。
 こんな性格だから、ラリーのナビゲーターなどはできそうもない。パリダカの篠塚選手の映像をテレビでみたが、ナビのひげのおっさんがが「トイレしたい」といったのに対して「ホントか? ホントにしたいのか」と問いつづけ、とうとうあきらめさせてしまった。時間が勝負の世界だから、その気持もわかるが、あのおっさん、もらしてないか人ごとながら心配になってしまう。
 こちらは有無をいわさず「トイレ」だ。ダメといわれようなら、ここでする、もらしてしまうといいつづけ、むりやりトイレ休憩だ。だから、おまえと旅をすると時間がかかってしょうがないといわれている。
 そんなことはどうでもいい。米沢市内だ。まずはソバを食う。日曜の昼間とあって泣き叫ぶガキ、おばさんの団体のなかで食う。盛りが東京の二人前ぐらいあった。つゆはカツオだしのきいたもので甘味も少なく、硬派なものだった。いっしょにでてきた漬物もうまかったぞ。
 市内で観光するものといったら上杉神社ぐらいしかない。ここは上杉謙信ゆかりの土地だったのだ。雪道をすべりながらたどりついた。なにかがあるわけではないが、一応拝んでおく。ほかにすることはない。
 そのあとはお約束の酒蔵見学だ。利き酒をして、全部の酒の味をみてみる。申し訳ないので、いちばん安いやつを2本買う。これはケチなのではなく、それがいちばんうまかったからなのだ。
 これで温泉へむかうことになったのだが、時間はまだ午後3時。着くには早いとなった。ならば、おやつということになり、ステーキを食うことにした(笑)。
 おやつにステーキとは馬鹿ものの極みである。しかしまぁ、食うと決めたのだ。ナビの声はルートをはずれているよといいつづけているが、かまわずにねずみの学習テストのような路地をぬけ牛肉屋へ。ここの二階でステーキを食わしてくれるのだ。営業時間が夜の7時までというのは東京では考えられない。
 飯と汁はいらんからステーキだけをくれという。特選のヒレを食べたのだが、やわらかくうまい肉だった。これがりんごを食って育つという米沢牛かと思うとりんごの甘味を感じるから不思議だ。
 ステーキを食い温泉につく。まずは浴衣をきて温泉だ。これは定番。
 温泉は硫黄分のあるたいへん熱いものだった。なんでも源泉は70度ちかくあるらしい。それを温泉成分が薄まらないように熱交換機を使って、暖房などの熱源としたのちに、温度のさがったお湯を風呂へいれているとのことだ。ここらへんパンフの受け売り。
 温泉からでてビール、これも定番。さてとモバイルしようとPHSをとりだすと電波が届いてない。やはり無理だったかと思うがあきらめきれずに、PHSを手持ちで部屋のあちこちへ動かす。まるでガイガーカウンター状態だ。しかし、どこへ動かしても電波は受信できない。こうしてモバイル計画はあっという間に挫折してしまった。
 夕食にすき焼きを食べ、あと、できることといえば酒を飲むことだけだ。こうしてモバイルツァーはただの酒飲みツァーとなってしまったのである。
 これじゃ、いつもの旅と変わらないではないか。

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1998年3月16日 (月)

小学生が中年になるころ小惑星がやってくる?

 小惑星が地球に衝突するかもしれないというニュースが、3月13日の新聞、テレビをにぎわせた。
 不謹慎だが、「やったー」と思った。衝突予定日時が2028年10月26日ということもあり、まだせっぱつまった感覚もない。子どものころに見たSF映画や、さまざまなビジュアルを思い出してしまったのだ。
 国際天文連合が発表したのは、「1997XF11」という直径1.6キロほどの小惑星。アリゾナ大学の観測チームが昨年12月に発見したものだ。地球への再接近時の距離は4万5000キロと計算された。これは地球と月の38万キロよりだんぜん近く、衛星の静止軌道3万6000キロよりはちょっと遠いという微妙な距離だ。
 ちょっと軌道がそれれば、地球へ落ちてくるけんね。えらいことじゃけんね、おまーら。という警告となったわけだ。
 どれぐらいえらいことかというと、海へ落ちれば、高さ100メートルの津波が発生する。陸へ落ちれば衝撃もすごいだろう。サードインパクト(笑)てなもんで、かなりの被害となるに違いない。
 子どものころには、未知の天体が地球へぶつかる仮定のものがあった。ハレー彗星がやってくるときだけでも、空気がなくなるとか毒ガスがまわりについてるとかで、金持ちはゴムチューブを買い占め、貧乏人は水に顔をつけて息を止める練習をしたとか、いまから考えるとおかしいことが大まじめだったのだ。
 さらに、未知の天体がやってくるとなると、山にロケットの滑走路をつけて脱出するとか、南極にロケットを置いて地球の軌道を変えようとか、木星を爆発させて(笑)天体の軌道を変えるとかいろいろとおもしろいのだ。
 小惑星を水爆で吹き飛ばす、そのものズバリの「メテオ」なんてのもあったな。
 実際にぶつかるとなると、どうするのだろうか? 水爆をぶつけるのは、現在でも原子炉をつんだ衛星を打ち上げるだけで環境保護団体が反対と大騒ぎになるので反対意見がでるだろうし……。
 小惑星に推進機をつけて軌道を変えるにも、どのぐらいの距離でやるかとか、接近の際の軌道とか、いろいろ問題がでそうだ。だいたい、人類は月より遠くへいったことないんだからな。
 あと30年。時間があるのかないのか? こっちは、もう70歳すぎてるから、本当にそーなれば、1大スペクタクルショーを見られるかもしれないので期待しちゃう。
 街頭には大きく「衝突まであと268日」とかカウントダウンがはじまり、人々は不安げに天を見上げ、夕食の買い物へと向かう。公園で鳩にエサをやりながら、他の老人と「いよいよ核弾頭の使用が決定したらしいですな」とか。
 かーっ!! いいねーいいねー(笑)。
 世の中どー動くのだろうかと思っていたら、翌日3月14日の夕刊にNASAが、小惑星は地球から100万キロ離れた地点を通過するので、衝突の心配なしという発表をしたという記事が載った。
 たった1日で地球の危機は回避された。つまんねーの(笑)。でも、あまねく小惑星はこうしている間にも地球を狙って飛んできているかもしれないのだ。

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1998年3月23日 (月)

世界最小のMacOS互換機?

 携帯用にIBMのParmTopPC110というDOS/Vマシンを使っている。
 テキスト打ち、通信、インターネット、画像表示、MIDI再生とひと通りのことはPC-DOS上でできるのだが、こちらも通りすがりのMac使いだ。できればMacを持ち歩きたい。
 ところが、Macにはサブノートのカテゴリーに属する機種がないのだ。新ノートはより大きく、機能てんこ盛りになっていく。重量にして3キロはくだらない。
 いちばん小さなPowerBook2400でさえ、A4より少し小さく、1.98キロとほとんど2キロだ。これにACアダプター、PCカードを持ち歩けば、やはり重たい。1キロ以下のサブノートがそろっているWindows95陣営がうらやましいところだ。
 そんな状況を打ち破るかもしれないものをインターネットで見つけて狂喜してしまった。それはインテルチップ上で動くMacエミュレーターだ。EXECUTOR(ARDI社製)という名のそやつは、DOS、Windows3.1/95、Linux上で動作する。このDOS上というのがすごいではないか。さっそくデモ版をダウンロードしてきた。(http://www.ardi.com
 ZIPしてあるそやつを解凍してインストールし起動した。Macのファインダそのものは著作権上使うことはできないので、独自のブラウザが付属している。ここからMacのアプリが動作するというしだいだ。
 メニュー表示を見て、なんだ4.7インチというサイズの画面でも実用に耐えるではないかと思う。こりゃいけるわい、いひひひひ。といろいろなアプリを試してみる。(画面イメージ。JPEG50KB)

 現在のところ、英語しか使えず制約も多い。互換性に対してはかなり低いといわざるおえない。まず、当然のことだが日本語のアプリはダメ。グラフィック関係もダメ、シリアルポートが使えないので、通信やMIDIソフトがダメ。Macのハードに依存したソフトがダメというぐあいで、動かないもの、起動だけするもの、起動して使えるが、ある動作で決まってフリーズしたり、その機能だけ使えないものがかなり多い。
 OSのバージョンとしては、6.0.7のシングルファインダをサポートしている。これって、オレが初めてMacを買ったときのバージョンだ。もちろんこっちは漢字Talkだけど。
 この後システム7になったとき、日本ではアメリカより1年半以上遅れてリリースされた。EXECUTORを使っていて、このときの感覚を思い出してしまった。もうひといきで使えるのに、または中途半端に使えてくやしいなーという感覚である。
 これが楽しい。どうすれば使えるのかとか、日本語化は不可能なのかと試行錯誤をして、ただウィンドウを開け閉めしてるだけでアヘアヘアヘ状態となり、まったくのMacサルとなっている日々が続いている。
 PC110という世界最小MacOS互換機としては、DOS上では代替できなかったQuickTimeやハイパーカードといったMacのいちばん他人に見せたい部分が使えない。
 これじゃ、持ち歩いてもなんのためのMacOS互換機なんだかわからないが、でもいいんだよなーこれが。忘れかけていたMacの楽しさがふつふつとよみがえってくるのだ。
 Macの楽しさを再発見させてもらったが、これが、PowerPCを推進するAppleにとって、敵対陣営であるインテル(及び互換)チップ上で動いているところがなんとも皮肉ではないか。 

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1998年3月30日 (月)

読むとき書くとき気をつける

 ある音楽関係誌での記事のことだ。本題へはいる前のまくらで環境ホルモンのことについてふれていた。

 男子の精子の数が最近は減少している。それは人間の作った科学物質、たとえばゴミ処理場から出るダイオキシンとかが悪い……。というような内容だった。

 読後、どうして音楽雑誌でこんなことを読まされなくてはならないのか理解に苦しんだ。書くことがいけないと言ってるわけではない。事実の確認なしに書かれたと思われるところがまずいのだ。それがたとえ、本題の音楽に関することでなくてもだ。

 まず環境ホルモンについて説明しておこう。環境ホルモンとは、ある科学物質が性ホルモンのような働きをするものを指す。

 性ホルモンとして働くと、メスがオス化してしまい卵が産めなくなるとか、精子が減少するとか、ペニスが発育せず生殖ができなくなるということが確認されている。これは種の存続ができなくなるということにむすびつく。

 環境ホルモンは、非常に微量でも影響がある。現在わかっているものでは、10億分の1パーセントという濃度で影響がでているとされている。これは、いままでの化学物質の汚染基準では、安全か、まったく影響がないとされる数値だ。

 その環境ホルモンとなる物質だが、現在のところはそのすべてが特定できているわけではない。わかっているだけでも、船の塗料に使われている有機スズ。農薬に使われたDDT、洗剤などの界面活性剤として使われているノニルフェニールポリエトキシレート。プラスチックなど合成樹脂の原料となるビスフェノールAがある。

 環境ホルモンについて、世界でいちばんきびしい規制を実施したアメリカでも、現時点で国立環境健康科学研究所によって、確認されているのは、Endosulfan、Nonylphenol、
Vinclozlin、Genistein、Methoxyehlorの5種類だけとなっている。

 これは、8万種類以上あって毎年増加する化学物質を検査している最中のものであり、これから増えることは確実だが、現在のところ、ここにダイオキシンの名前をみつけることはできないのである。

 ここで、例の文章は「なんだか精子が減る有害物質があるみたいよー」と伝え聞き、アブナイものというとダイオキシン。なんだかコワイものだから、いろんなことで悪いものにしてしまえという発想か、そう伝え聞いたものを確認しないで書かれているように思える。

 書くなら、ちゃんと調べてからにしてもらいたい。ダイオキシンならコワイ、コワイ、くわばらくわばらと心配するのだが、ビスフェノールAなどは樹脂の原料だから、コップ、哺乳ビン、食器、缶詰の内側の皮膜、食品の包装材、歯の充填材など、直接口にはいるものに常に接触しているものに使われている。

 わずかに溶けだしてまざっていても、まったく安全と言われている濃度ぐらいしか検出できないだろう。ここが問題なのだ。

 マスコミで発信される情報には、いろいろなものがある。新聞や大手の出版物に書かれているもの、テレビで言ったからと鵜呑みにしてしまわないで、誰が書いたものでも疑ってみないといけないだろう。もちろんインターネットから得られる情報もしかりである。これを怠ると、デマや噂に発展していくんだろうな。このデマや噂が、過去にどれだけひどいことを人間にさせてきたか思い返してみないといけない。

 インターネットにより、情報も発信しやすくなったが、収集もしやすくなった。事実に関しては複数の情報源にあたったほうがいい。また、書く側としては、できるだけ事実を確認して書きたいものです。ハイ。

 この文章を読んでも、すべて信じちゃいけませんよ。事実を含んではいるけど、全部を確認したわけでもないし、真実とは限らないんだからね。まずは、検証力と判断力を養いましょうネ。

■追記 4月13日付けの新聞記事によれば、環境庁はダイオキシンやPCBなど67種類を環境ホルモンとして疑わしき物質として調査研究をすすめ因果関係を立証したいとしている。
 そのため自民党は1998年度補正予算に100億円を盛りこむことを決めたそうである。

■追記2 前出の報道をした新聞が、後日、別の記事でダイオキシンなど67種類の環境ホルモンがあるという書き方をしていた。疑わしいだけで確認はされてないんと違うのか? 前の記事と矛盾するぞと思っていると、さらに後日、ダイオキシンなど環境ホルモンと疑わしき物質という書き方をしていた、疑わしいものと確定しているものでは、まったく違うと思うのだが、その新聞は最大手といわれているのに、社内の校閲もないのだろうか? 新聞にしろテレビにしろ、報道の専門家でさえこの始末なのだから、信用しちゃいかんよ。

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